こんにちはサヤカです。
「何事もバランスさじ加減」
今日はその言葉の一部でもある「加減」について考えていきたいと思います。
加減を間違えているだけ
なんだか空回りしているように感じる時
ただ加減を間違えているだけ
なのかもしれない。
そのように考えてみると気持ち的にはどうですか?少し気が楽になるかもしれません。
うまくいかない事や失敗する事≠自分の価値とイコールにならずに済みます。
不安や失敗が怖い方の特徴的考え方は、「コト」に対する失敗や指摘が「ヒト」自分に対する評価だと混同しがち、実際そこはイコールじゃないことも多いです。
ダイエットによる過食は食べれば治ります。
「病院へ行ったほうがいいですか?」の質問に対して第一にそれを勧めない理由はそこにもあります。
「食事の加減がわからなくなってしまっただけ」で、その理由は過去の出来事や育ちは根本的な理由ではない、あくまで自ら行なったダイエットによる体の生理現象、防衛反応でしかない。
ややこしくしているのは誰だ?そう考えてみるのもいいかもしれません。
すべては共通している
ですが…
実際問題、食事の加減がわからなくなってしまうと、色んな加減がわからなくなってしまいます。
数字への極端なこだわり、目先のことに左右されすぎて、時間をかけて育んだ方がいい人との関係や体・心づくりまで、先走って行動してしまう癖はすべてに共通していきます。
社会や人との関係で求められる「加減」がわからなくなってしまったら、うまくいくものもうまくいかなくなります。それがさらなる孤独の道へ彷徨い込んでしまう原因になっていきます。
「加減を知らない子供」みたことありますね?
子供なら許されることでもそのような大人に対しては「痛い人」「自己中」「メンヘラ」あまりいいワードが並びません。
加減をまなぶ
それでも子供と大人の違いは
大人は課題を自覚することができるという点。
子供は言われないと言われてもわからないことでも、大人はある程度、同じ失敗を繰り返している時点で自分の癖には気づいていけます。
「わたしは…加減がわからないだけなのしれない?」
そう思ってみてもいいかもしれないですね。
人との加減を学ぶためには、当たり前ですが人と付き合っていくしかありません。居心地のいい関係だけじゃなくて、色々な出会いを通して人とぶつかり傷つけ傷つけられ、反省し、また出会いと別れを繰り返す。
この経験が多ければ多いほど経験値はあがりますが「いい加減」と「良い加減」は違うということは心に留めておきましょう。
手当たり次第、やっつけ仕事みたいに人と付き合っていくうちはわからないことかもしれません。
本気で人と向き合って自他ともに理解し許容範囲が広がっていくうちに、人として丸みを帯びていく角がとれていくものだと私は思っています。
人は転ばずして何も知れない学べない。
おわりに
加減をしり加減をまなぶために、日々がある。
加減をしり加減をまなぶために、行動する必要がある。
どんどんやってみて「良い加減」を見つけられるといいですね。
失敗は、良い加減を知っていく上で必要不可欠なこと
私たちはパンや食べ物を焦がすことで、いい火加減やタイミングを覚えられたのですから。パンを焦がしてももったいないから剥いで食べますけど!
どなたかの心を動かすヒントになればうれしく思います。
今日も応援しております⭐︎
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