【心の貧困】満たされない気持ち

コラム

こんにちはサヤカです

今日は「心の貧困について

ダイエット痩せへの執着がやめられない、依存してしまう、そんな自分が嫌だと感じているけど…

どうしていいのかわからない迷子の方へ。

心、感情はみえるものではないので

現実的問題が起きた時に「自らの心の飢え」が原因だったと認識するまでには少し時間がかかります

みえないものを認識し「言語化」言葉にすること、複雑な感情や感覚を言葉にするのはとても難しいです。

心の貧困が招く問題認識を遅らせる原因となるのが「誰かや何かのせいにしてしまう他責思考」そして「依存」に人は傾き、心は息ぐるしい日々を送ることになります。

問題が起きている時には「心が飢えている」とは思っていない、無自覚であることがほとんど

私もそうだったと思います。

実際、心の貧困が引き起こす問題は似たパターンが続きます。

何度か同じようなことが繰り返されたのち、自分に問題があることはわかっているんだけど「何が問題なのか」がわからない。そういう方もいらっしゃるでしょう。

心の貧困解消は難しい

ですが今日はそこに切り口をメスをいれていきたいと思います。なにか解決の糸口ヒントになれば幸いです。

心が飢えたキリがない人

ダイエット発信を通じて色んな方と出会い、接してきました。

素敵な出会いもあれば「えっ?…」と心の声がでてくるような人にも遭遇しました。

その度に「私はどうすべきか?どうしたいのか?」真剣に考えてきた日々でもあります。

「スーパーでの試食」を例に話をすすめます。

「試食」ひとつにしても、それぞれ色んな考え方をお持ちだと思います。試食は私も楽しんでいますが、それも程度、時と場合によって使い分けています。

私が小さい頃、親に言われてきたことは「最初から買う気がなければやめなさい」と「試食は何個も食べていいものじゃないんだよ」と。そのような教育を受けて育ちました。

そういうもんだと思って育ったので、基本は1個とか、1回とか、試食に限ったことではなく人生全般そういう価値観で生きてきました。

発信を通して「えっ?」と思ったことは「個別に何回も相談する人」私は頭を悩ませました。

マナーについてはストーリーで何度か注意喚起しましたが私の言葉もキツくなり、何よりこういう話をすると、お金をいただいているクライアント様が遠慮したり「私のことかも…」と落ち込んでしまう。

とても痛手でしたがインスタライブをはじめてから、自分の意思を明らかにするようになってから、現時点でそのような方はいません。

言いにくいことをハッキリ言うことで、印象は悪くなったかもしれませんが、それよりもプラスになったことの方が私は多いと感じています。

さて、それぞれみなさんの身の周りにおきかえていただければ

どこにでもいます「キリがない人」。どこにでもいますが自分の身の振り方で変えられる部分もあります。

悪い人じゃないけど苦手な人への対処法

でも悪い人じゃない。

人間関係の選択を難しくさせる一番の理由は、本当に悪い人はあまりいないからかもしれません。

ですがみなさんの周りにも「悪気はないんだけど…なんか図々しい人、なんか苦手な人」っていませんか?

悪気がない=自覚がない」から「悪い人じゃない」という前置詞がつかわれやすい、そして何回も繰り返される。

もし渦中にいらっしゃる方がいたら私の経験上「どうすべきか?」で考えてしまうと倫理とか道徳心が絡むので答えがでにくい、なぜなら悪い人はでないから。

そのため「どうしたいか?」自分はその人との関係を含む、すべてを考慮して「どうしたいか?」

この問いを元に答えを導きだすとといいと思います(がんばって!)

悪い人じゃないんだけど…

この前置詞でてきたら、ちょっと要注意?わかりやすい心の警戒アラームかもしれません。

心の飢えが引き起こす問題

試食の記憶からこの話を母にした時に

本当に色んな親がいて
私もママ友でだいぶ切磋琢磨したわ〜

「もらえるものはもらっときなさいよ」という親もいたし、でもその心はお金のあるなしには意外と関係なかったのよぉ。

お金に全く困っていないのにみんなで積み立てたお金に手をつけちゃうママもいた

必要以上に寄りかかってしまうママもいた
それで潰れてしまうママもみたわ

情深い、面倒見のいい、いい方に限って、そういう人に好かれちゃって大変そうだった!

母の記憶

ここで問題の本質に迫りましょう。なぜこうした問題が起きるのか?

なにかが飢えている

愛すべき家族、子供やペットがいる、家がある、とりあえず暮らせるお金はある。なのになぜこうした問題が起きてしまうのでしょうか?

飢えは依存、苦しみに変わる

なにかが飢えているから、それを埋め合わせしようと人や物に求めてしまう。それが必要以上にいきすぎると「依存」という形で泥沼化します。

ダイエット依存、ダイエットが終えられないのも「なにかが飢えている」から。ハードな例だとアルコール依存症、万引き依存症など

やめたくてもやめられない

これは病気、ヤバそうだという認識はお持ちだと思いますが程度の違いで、ダイエットが引き起こしている過食も同じだと私は思っています。

法に触れるようなことじゃなくても日常に歪みは生まれ、それは家族を含む全てに影響する、子供の成長にだって。

そんな状態を変えられないのは単刀直入に

本当にヤバいと思っていない

でも人は「危機感」、危機感さえもてれば必ず人は変われます。

ある意味「変わりたい」じゃなくて、「変わらないといけない理由」が見つかれば変化は早いと思います。

基本、人は変われない生き物ですが「危機感」が私たち生命体をここまで存続させてきた、すべては人類史が物語ます。

「大変だね〜」「かわいそうだね〜」病気の人にかけられる言葉は優しい寄り添う言葉が多いでしょう。必要な方には向けられるべき言葉ですが、この言葉に

癒す力はあっても変える力はない

そして心の飢え以前に、体の飢えを満たさない限り、満たされない気持ちを満たすことはできない。幸ある日常や人生を送ることは不可能です。

理由はこのコラムを参考にしてみてください↓

おわりに〜自分を知る大切さ

私は3人兄弟の真ん中、つまり私の母は子供3人にまつわる人間関係はとても大変だったと思います。

母は小柄で生命体としてはそんなに強くないタイプ、サヤカさんと全然!違います。筋肉とは縁のカケラもなく運動らしい運動もしません。

そんな自分をわかってなのか、結構いいこと言ってくれて「そんなね、人を助けられないの。そんな力ないのっ!」…軽快に語ってくれました笑

やっぱり「自分を知っている」っていいなと。

「私はここまでできます、ここまではできません」それを自分でわかっていれば、その先は「どうしたいのか?」課題を見つけて取り組むか、どうするかは自分次第ですね。

「自分という人間への理解」これは人と気持ちよく関わり合っていく上でも、とても大切なこと

そんなね、人を助けられないの。そんな力ないのっ!(母より)

貴方の娘は「そんな力をつけたいと、力持ちになりたい」と願っているんです笑。これは父、または母方の父おじいちゃんに似ましたね。遺伝子はつながっています。

でも最初からそうだったわけじゃない。

私にその可能性を見出してくれたのは筋トレ、ウェイトトレーニング。やっぱり筋肉は人を救えるのかもしれない。

まずは自分で立てるように、それが自立であらゆる依存からの解放。生きていく自信につながる一歩。

トレーニングでいえば自分で自分を持ち上げる懸垂!どんどんあがって力持ちになりましょう⭐︎

参考になることがあれば幸いです。ここまでご一読いただきありがとうございます。

今日も応援しております♪

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