こんにちはサヤカです。
今日は自分を好きになれない/他人に振り回されてしまって、貧乏くじを引いているような感覚になってしまう
「自分を大切にできていない気がする…」そんな方に向けた内容です。ですが自分を大切にできていない自覚は意外とすぐにはできない。
日常の中で、何かとトラブルが重なり色んな問題が発生する中で
その原因が「自分を大切にできていないこと」それに気づいた方が「自分を大切にすること」について疑問をもちはじめると思います。
今日は少し抽象度は高めになりますが私の個人の体験談になります。
自分を大切にできなかった私の体験談
体型や体重以外にも評価や肩書き、立場…
とにかくみえるものばかり気になって気になってしょうがなかった。
人がもっていて自分にないものが気になり、努力してみるも一向に手にはいる気配なんてない。
そこには常に「みんなと同じになれない」謎の孤独感や寂しさがあった。
行動していなかったわけではない。時間体力お金をつかってもつかっても、思い描いているような状態にはにならなかった。
思い返せば
ネットリ黒い油のようなものが
体にも心にもまとわりついていた気がする
その時の自分の言動に一貫性はなく
誰かを疑う気持ちや批判する声ばかり聞こえてくる
私は常に怒ったり悲しむばかりだった気がする
もちろん365年の中では楽しい日もあったと思うけど
欲しいものが手に入らない憤りや悲しみは強烈で、常に誰かに嫉妬するか、なんだか自分を恥じていた
そんな時に優しくしてくれるように感じた人は、時間の経過と共になんだか不平等な歪な構図に
それは仕事もプライベートも全てに当てはまっていたと思います
だから私は「全ては繋がっているんだよ」と自らの経験の元
「家ではちゃんとやっているけど、外ではだらしない」
「外ではだらしないけど、家ではちゃんとやっている」
こういう言葉を信じていない
人や場所によって態度を変える生き方は必ずどこかに皺寄せと負担がある
貧乏くじを引くなんて言い方は被害者ヅラしているみたいで嫌だけど、自分はそうした負荷を背負った人間だから、そうやって態度を変える人間が好きではない。
でも人間の本質は弱い
誰でも持ち合わせている弱さや感情や感覚を否定してはいけないけど
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すべては繋がっている
だから一つひとつのことを丁寧にやっていこうよ。
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そのような想いがあります
当時の私を振り返ると
いい縁が全くなかったわけじゃなくて
『縁を育む力』
土壌がなかった、むしろ大地は枯れ手入れ不足
そんな土地には、なにを植えても育たない
耕作放棄された畑のような状態だったんですが私は気づけなかった。
そして悪い縁ばかりが成長してしまうのは
相手にとっては都合よく動いてくれる存在に成り下がってしまう、これは自信のなさからくるものだった。
好かれたい人には好かれず、好かれてはいけない人は好かれてしまうような感じ
でもそうした人間関係を繰り返す引き寄せる原因は
「自分を大切にできていなかった」
これだけだったと思います
実際、土壌改良には最短3年かかると言われていますが人間も同じかもしれない
急に変身できるわけじゃなくて
トライアンドエラーと振り返り分析改善
弛まぬ努力が必要
そして気づくこと
1日でも早く気づいて手入れをはじめよう
なにを植えても育つ土壌
結果がでる人間になることはできると思う
ご縁の不思議と人が本質的に求めていること
自分の誇れるようなものじゃない歴史を語ることは、それぞれとても勇気がいると思います。それを否定し恥ずべきものだと思っているうちは特に。
でも「ネットリした黒い油のような」この表現がすごくしっくりきます。
なかなか落ちない頑固な汚れ、だから人はすぐ変われない。
そしてこの油を落とすのに必要なのが「許し」
外側を満たして満たしても落ちない、でも内側の許しこそ
落とすんじゃなくて溶かしてくれた
そんな気がしています、必要なのは内側を満たし温めること。
こんなことを延々と語り続けてきた私は、正直…
「誰かのためになってんのか?誰のためにもなっていない、ただの自己満足かもしれない」そう思うこともよくありました。
やっぱり万人ウケするようなことを発信していった方がいいんじゃないか。ここまでくる中で、色んな迷いや葛藤はありました。
そう思う中で不思議なことが起こっていた。それは1回や2回じゃない。
「たった1枚のストーリーやたった1本の動画」
それは楽しい、おもしろい、美味しい、みんなが好むようなものじゃないものに共感していただくことの方が多いと思います。
たぶん人は…人が本質的に求めていることは、万人が好んでいるようなことではない。だってそれは自分一人でもできることだから。
私は人を探していると言い続けたけど、人は人を探している。みんな心のどこかで共鳴できる誰かを探している。
心が呼応できる誰かを探している。
それは人は1人じゃ生きていけないから。人は1人じゃ乗り越えられない壁があって、それを超えたい欲求があるから。
このコラムもどこかで迷子になっている誰かに届けばいい、そう思えると私は自分を動かすことができる。
「自分はそんな大した人間ではない、1人でも救えたらすごいことだ」マイナスな事を語るリスクを飛び越えて行動する方にシフトできる。
そして過去の同じような痛みを経験から学び、乗り越えた人たちとの縁は「こういう人がいたのか…」こうした人との出会いこそ、私に大きな感動を与えてくれます。
「いつかのいい日のため」
私にとってこの言葉は「人との出会い」がそれを感じさせてくれます。
あぁこの出会いのためにあの日があったんだぁって。最後まで読んでくれてありがとう!
ありがとう。
sayaka
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