こんにちはサヤカです
私はこれまでずっと「習い事をする」ように勧めてきました。この主張は発信初期から一貫していますが「ダイエットと関係ないじゃん」そう思った方もいるかもしれないですね。
ですが改めて提案させてください。
今日のコラムは「人から何かを学ぶことをやめないこと、やめない方がいい理由について」考えていきたいと思います。
はじめる前から決まっている
「私はこんなに頑張っているのに…」
かつて私もこの言葉を嘆いてきた1人です。
ですが、そもそも自分1人でできること、成せることには限りがあります。実際は独りよがりの努力や実力に見合わない高望みをしている場合がほとんどと言ってしまってもいいかもしれません。
それくらいこの世の中には「自分でもできそう…」そう錯覚するような情報が溢れていますが、それをどう取捨選択し活かせるかも自分次第です。そのために必要な視点として
結果は、はじめる前から決まっている
自分を変えようとしているならば、それは1人でなせることなのか?自分に問うてみましょう。自分がやろうとしていることは、今の持ち札でできることなのか?自分に問うてみましょう。
その作業なくして「私がんばっています!でもうまくいかなくて…」
変わりたいのに変われなかったのは
「変わりたいなんて本当は思っていない自分がいた」
そう赤裸々に語ってくれた方がいます、まだ読まれていない方はご一読いただけると幸いです。ご共感できることが沢山あると思います(下記コラム)
今すぐ欲しいものは本当に必要か
人間が傾いていく時
体と心のバランスが崩れていくと、どういうわけか「目先のことばかり気になる」ようになっていきます。
ある意味、判断能力が低下していくとも言えますが、そんな時についつい人が求めたくなるのは考え方を変える?全くもってそういうことではないでしょう。
目の前の問題を【岩】と例えるならば
「今すぐ岩を退ける方法を教えて欲しい」「それができない自分を慰めて欲しい」とか
知りたいのは手に入れたいのは、そういうことだと思います。
問題解決していくことは大切なことではありますが、私が伝えてきたことは
なぜその岩を退ける必要があるんですか?なぜなんのためにダイエットボディメイクしているんですか?
では、その岩を退けるために、その過程でダイエットやボディメイクで身についた力を、その先の道でも活かしてください。できれば自分のためだけじゃなく、世のために人のために。
目の前にある岩が邪魔だ!どかしたい!気持ちが悪い!退ける方法を教えてください!=痩せたい!でも過食しちゃう!今の自分が嫌い!でも頑張っている!辛い!
結果を急ぐあまりスピードを出し過ぎて事故ること。
それは他のことにも応用していける再現性はなく、自分のためにも誰のためにもならない。幸にも繋がっていかないから
自分のやり方ならぬ在り方を見直していきましょうと、私は伝えてきたつもりです。
そして人が悩み苦しむのには
物事の尺度、捉え方を間違えているに過ぎない
そう仏道では語られています。
結果のちがいは器のちがい
実際のところ同じ情報を得ても、同じように人にならっても、結果がでやすい人とでにくい人がいますね。
一体なにがちがうのでしょうか?
それは受け取れる器があるかないか、それだけ
前向きな話をすると、器はそれぞれ磨いていける。磨いていくことで前の自分より多くのヒントや助言を手にすることができる、私はそう感じています。
器を磨くというのは、何かを勝ち取ることや評価を得ることとは違います。痩せる筋肉をつけることとも違います。
いらない我を削ぎ落とすこと
いらない我をすてた先に楽がある/いらない我をすてた先に縁がある
我が強いことは悪いことではないですが、我が強ければ強いほど「本当のことを言ってもらえなくなる」私はそう考えています。
実生活上で「我」はオブラートに包まれ私達は当たり障りのないように生活できますが、無意識下でも「この人にはここまで伝えよう」「この人には言わないでおこう」という線引きがあるでしょう。そのため
「自分は言ってもらえる人になれているのか?」
それは自らの謙虚さについて考える機会であり、自分の器について考えることでもあります。
法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
学ぶべきものは限りはないが
すべてを学ぼうとすることを誓う
日々慌ただしい生活の中でも、ほんの少しの時間でも、心を落ち着かせて自分自身のことを考える機会になれば幸いです。
今日も応援しています⭐︎
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